大船渡へ行く

ここから家が流されるのを見送った 大船渡へ行く
 友人に会いに大船渡へ行く

 大震災で家は流されたが
 負けずに前を向いて歩いてる

 流される家を見送ったという裏山に
 人生の後半の住みかを建てている
 お祝いに行かなきゃ

 大船渡へ行く
 女房を連れて大船渡へ行く

 大震災のあの場所に
 女房と一緒に立っておかないと
 この先の人生観に行き違いそうだから

家も船も港の作業場も
みんな流されてしまった友人が
僕にとっての東日本大震災の姿であり

そこからの彼の歩みの一歩一歩が
僕にとっての震災復興だと思っている

震災直後に
「何も要らないから見に来い。」って彼は言った

大船渡へ行くと言うと 周囲は全て反対だった

現地は余震も絶えず避難生活もままならず
復興支援の人たちですらテント持参の手弁当なのに
透析患者なんかがのこのこ出掛けて行ってどうする
もう少し落ち着いてからでいいじゃないか

大人たちのしごく大人のご意見をもらった

「何かあったら私が悪者だね。」
女房だけが飲み込んで支度を手伝ってくれた

間に合わせの救援物資を積み込んで 
周囲には告げず 大船渡へ走った

ここで行動できないのは生涯の悔いだと思った

♪黒愛よ 急げよ 待つ人のもとへ
 風になり 鳥になり 雲になり
 急いで走れよ

大津波の跡に立って言葉をなくした
それを表現する言葉を知らなかったし
表現できるハートを持っていなかった

2年4ヶ月経った今も女房に伝えきれない

いまだに表現ができない
表現ができないものは伝えられない

でも伝えないと この先の人生を供に歩いて行く時
どこかできっとすれ違っていってしまう気がする

流された彼の家の跡地
港の作業場があった場所
大船渡の市街地
三陸鉄道の線路と駅の跡
彼の家に続く道
彼が過ごした仮設住宅
彼が建てている新しい家
・・・・・

風景としてではなく
そこにある彼と彼の思いと彼の暮らしと・・・

大船渡に一緒に立って、同じモノを感じたい
うまく伝えられないから"感じて"欲しい

大震災が何を教えたのか
大切なモノは何なのか

人生の後半に差し掛かかったいま
自らに問うて突き詰めなくてはいけない
目を逸らしたり心を誤魔化してはいけない

それを糧として
これからの後半の人生を供に歩く


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