熊野御前

こやまん

2006年05月01日 21:16

 「藤、見に行こ!」
 「えっ?ライトアップしてるか?」
 「多分!」
 「いちかばちか、行くか。」
 って、
 母さんと出掛けた。

 平安の頃、いわたには、熊野御前、千寿の前、朝顔という3美人が暮らしていた、というお話し、 
 熊野御前は、平安末期、女性の手本と言われたという。
 池田生まれの熊野御前は、平宗盛の寵愛を受けて都に上るが、その後郷里の母親の病の知らせを受け、清水寺で宗盛に一首捧げる。

 「如何にせん 都の春も惜しけれど 慣れし東の花や散るらん」

 胸を打たれた宗盛は帰郷を許し、熊野御前は京から郷里に戻り、必死に母親の看病をするが、母を亡くし、尼として33歳の生涯を終え、この行徳寺に眠っている。

 京の都に住む熊野御前の元に母親からの文を届けた朝顔も熊野御前の墓の隣に祀られている。朝顔は、千寿の前の元へも熊野御前の文を届けていたという。

 平安の頃、いわたには、熊野御前、千寿の前、朝顔という3美人が暮らしていた、とさ。
関連記事