取り戻せない10年位がある。
高校生の頃はかぐや姫、
大学生になって南こうせつ、
社会に出ても南こうせつ、
それがいつか歌を失くした。
サマーピクニック・ファイナルが、
歌の失くし始めだろうか。
人生の登り坂がきつくなっていった頃だろうか、CDを買いもしなくなった。
ギターもどこかに失くしてしまった。
こうせつの歌も口ずさまなくなった。
コンサートにも行かなくなった。
今、人生の山を降り始めて、
失ってしまったような気のするあの10年くらいを探ろうとする。
あの頃流れていたはずの歌を買い求めて流してみる。
すると、どうだろう。
こうせつの歌なのに、ほとんど初めて聞く歌ばかりが流れきて、
そして、ただ流れていってしまう・・・・。
ひとつのフレーズ、ひとつの旋律、ひとつの言葉に、
自分の人生を映して、繰り返し歌ってきたこうせつの歌なのに、
ただ、流れていってしまう・・・・。
過ぎ去ってしまった頃の歌だからだろうか。
もしもあの頃に、これらの歌に出会っていたら、
今でも口ずさむ、あの頃の心を支える歌になっていたのだろうか。
流れていく歌に、あの頃の人生を写してみる。
歌は世につれ、世は歌につれと申しますゆえ・・・
忘れていた、聞きなれたフレーズ、まさに言い得て妙、です。
昔の時代、自分より年上の人の歌って、心に染みるし感動したよね!
で、その思い出が時代を超えて心に残っているんじゃないかって気がする。
過去にさかのぼって今の自分より年下の人の歌には感動しないのかもしれないね・・・。 残念だけど。
だから、そのときに受けた心への入り方が今でも記憶に残っているのかな?と思う。
だから昔の「こうせつ」が好き!という気持ちはよくわかります。
自分も同じような経験あるから。
無理に好きにならなくても、理解しようとしなくてもいいんじゃないかな?
私は気楽にしています(笑)。
気楽にね、そうだね、気楽でいいね。
こうせつの歌なのに・・・ってちょっと寂しかったけど、Jさんの言うとおり、今の自分に響かなきゃ無理に理解しようとすること、ないね。
アドバイスをありがとう。気持ちが軽くなったよ^^v
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